今回は、「水野南北 開運の極意」 万人に一人の誤りもなし
編集・発行 大見屋 より
水野南北は、
江戸時代の中頃京都に住み、聖徳太子を教祖として尊び、
更に神道、儒教、仏教の三道を深く研究した。
三年間、散髪屋の小僧になり頭の相を研究し、
三年間、風呂屋の三助をして体の相を研究し
三年間火葬場の隠坊をして死者の骨相を徹底的に究めた。
東西の相法を研究するのみでなく、実地についても深く研究を積み重ね、
百発百中、当たらざること無しと言われた。
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私は長年、ずっと人の人相を占ってきたが、
ただ人相のみで判断すると、
金ができ出世し長生きをする相の人で、貧乏し若死をする人があり、
貧乏で若死をする相の人が、実際では金ができ出世をし長生きする人があって、
なかなか当らぬことが多く残念に思っていた。
ところがある時、ふと食物が大事では? と気づき、
人の運 不運 寿命は
みな食物、飲物をつつしむか つつしまないかによって
決まるのではあるまいかと、確かめてみたところ
一年前には大難が来るようになっていた人が、
断然飲食をつつしんだため
大難をまぬがれただけではなく、かえって良いことがあり、
生涯貧乏である相の人が、
飲食をつつしんだため相応の富貴を得て
今は大変出世している人があり、
前々から病弱短命と判断していた人が、毎日飲食をつつしんだため
心身共健康で長生きしている人が少なくない。
人を占うのに、まずその人の飲食の様子を聞いて
それによって一生涯の運、不運を判断したところ、
万人に一人の失敗もないことが分かり、
人の運命は全く飲食一つであると確信し、これを私の相法の極意と定めた。
私自身が率先して実行し、
一生涯少しも米を食べず、唯、麦を一日一合五勺だけとし、
酒は大好物だがこれも一日一合と定めた。
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◯ 人間の一生の吉凶は皆只その人の飲食による。
恐るべきは飲食である。 つつしむべきは飲食である。
◯ 飲食が分限より少ない人は、人相が悪くとも吉であり、相応の福分を得て
長生きし晩年幸福である。
◯ 飲食が分限より多い人は、たとえ人相がよくても何事も順調に行かず、
手おくればかりで生涯気苦労がたえず、晩年不仕合である。
◯ 少食で、激しく定めている人は、たとえ貧乏して悪い人相であっても
相応のしあわせがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく
晩年しあわせであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
◯ 大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で、
一生涯運はよくならず、ついに家庭をこわし、病気になる。
◯ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なかったりすると、
収入もまた多かったり少なかったりする。
飲食が一定していて変化がないと、収入もまた一定して変化がなく、
ただ食事を一定して厳重に守るが良い。
◯ 厄年に大難の相があっても、いつもおごった食事をせず
厳重に定めている人は厄をまぬがれる。
◯ 酒や肉を多く食して肥え太った人は、一生涯、出世発展することがなく、
つしまないと、晩年不幸せである。
◯ 自分が後々、立身出世しようと思うならば、
まず第一に食を減らして厳重に定めること。
これが出来る人は必ず立身出世をし、
できない人は生涯立身出世の見込みがない。
◯ 繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしておっても、
もし跡継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると
収入が自然に伸び、家運は栄える。
◯ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも、
自分自身で、貧乏人らしく粗末な物を食べ、
れを厳重に守り抜くときは、自然に貧しさから抜けだして
相応の財産ができる。
これを自福自得という。
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○ 常に腹七分目を心がけよ。
○ 人それぞれ、仕事や体格が違うのであるから、
食べる分量は自ずと異なる。
したがって、食を節する場合は、その人相応の分量で節する必要がある。
○ 自分が食を節しているからといって、
家族や他の人に無理にそれを押し付けてはいけない。
○ 節制は吉だが、ケチは大凶である。
従って人をもてなす時は、自分の節制に関わりなく、盛大にもてなすこと。
○ 青菜の類は、いくら食べても構わない。
○ 昔の武士は合戦の時は、1日5食であったが、
そういう非常時には大食しても構わない。
○ 一芸に秀でるほどの者は、慎しみを堅く守っていても、
ますます天から苦しみを与えられことがある。
それはその道をますます究めさせるためである。
○ 食欲がなければ無理に食べるな。
○ 早寝早起きを心がけよ。
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